熊本県水俣市で、水俣病の慰霊式がチッソや患者・遺族等参列により行われました

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水俣病の公式確認から62年を迎えた2018年5月1日、水俣病犠牲者慰霊式が熊本県水俣市の水俣湾埋め立て地にある「水俣病慰霊の碑」前で行われました。

水俣病の経緯

これは熊本県の水俣湾周辺で1953年頃から発生したメチル水銀中毒による慢性の神経系疾患を意味し、公害病の一つであります。

初めて水俣保健所により公式確認されたのは1956年5月1日ですが、手足や口周辺のしびれのほか、言語障害や視野狭窄、運動障害、聴力障害などの中枢神経系の障害が起こる病気であることも分かり、認定患者は2282人(うち死亡者数は1931人)となりました。

これはチッソ株式会社(旧・新日本窒素肥料)水俣工場のアセトアルデヒド製造過程で副生したメチル水銀が持続的に水俣湾へ排出されたため、その影響で有毒化となった魚介類を摂取した人々の中から発見されたのが発端です。

また母親の胎盤を通過して、生まれた子供にも特異的な症状があることが分かりました。

そのため1968年に水俣病は公害と認定され、翌年には水俣病患者らが損害賠償を求める民事裁判を提訴して1973年に勝訴しました。

また1975年に水俣病患者がチッソおよび水俣工場の重役を殺害したのを元に社長や工場長らが業務上過失致死傷で起訴され、刑事責任が問われる事態となりました。

訴訟に決着がついたのは水俣病発生から40年以上後の1996年のことです。

なおこの公害は1965年頃にも新潟県阿賀野川流域で昭和電工の工場排出物が原因として発生していたことが記録されています。

(参考:コトバンク)

今回の慰霊式では

慰霊式には患者や遺族、チッソ株式会社の後藤舜吉社長、中川雅治環境相ら約680人が参列されました。

患者・遺族代表として、認定患者の金子親雄さん(66歳)が「困難に負けずに生きる姿で、人に勇気を与える人生を、これからも歩んでいきます」と祈りの言葉を述べられました。

ただチッソ株式会社の後藤舜吉社長は慰霊式後記者団に対し、水俣病被害者救済法(特措法)に盛り込まれた事業会社JNC株売却要件の一つの「救済の終了」について、「異論はあるかもしれないが、私として救済は終わっている」と発言されたとのことです。

もし売却が成立するとチッソ株式会社の清算となる可能性があるため、患者や被害者らが補償の主体が消えることを懸念され、「加害企業としてあるまじきことだ」と批判の声があがったそうです。

また中川雅治環境相も、「現時点で救済の終了とは言いがたい」との認識を示されたそうです。

(参考:朝日新聞デジタル)

このニュースを通じて

この公害は小学校の社会科で習うほど有名で、発生したのは執筆者の私が生まれる前ですが、改めて思うと患者や被害者の皆様にとっては一生を台無しにされたとんでもない出来事だったということが思い知らされます。

そんな中で加害企業の今回の発言はいったいどんな根拠でされたのでしょうかね。

多くの人命に関わる出来事だったのに非常に残念で仕方ありません。

患者や被害者の皆様、これからの人生も本当に大切に過ごされ、後世に水俣病がいかにひどい公害であったかをいつまでも伝え続けられるように頑張ってください。

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